雷門盆踊り2018
消防庁の音楽隊、カラーガールズの皆さん、自衛隊の練馬駐屯地の隊員の皆さんの協力で盆踊り前、雷門前会場を賑わせてくださいました。
美人画の巨大灯篭は秋田湯沢市の市長はじめ職員さん、秩父からの歴史ある大やぐらを持ち込んでくださった皆野町の町長はじめ職員さん。踊り指導の土屋翔先生やひまわりの会の皆さん、まだまだ多くの人に支えらながら、ばっちり2時間半、アクシデントもなくフィーバーできました。
ありがとうございました。
最終曲をダンシングヒーローで終わった会場には、踊り手の皆さんの余熱とも言うのか、とんでもないエネルギーを置き土産していってくださったようです。
9月7日・雷門一之宮通り
秋の長雨というわけではなく、台風の接近で関東地方にもその影響が前日まで出ていたため、気が気ではなかった・・・というのが実行委員会のメンバーの偽らざる本心です。
けれど・・・どういうことでしょう・・・
関東地方を除いて、ほとんどが雨模様だというのに、朝になると気持ちの良い青空に恵まれました。
雷門一之宮通りは雰囲気満点です。
絵灯篭の様子です。
雷門一之宮通りの様子です。
神社、お寺の参道おいての雰囲気がさらに情緒を醸し出します。
9月8日並木通り(盆踊り会場)
すいません。書ききれません
もともと浅草の夏の終わりを寺町浅草らしい思いを残せたらいいのにと思っての盆踊り。。。
見ているお祭りではなくて、参加して思い出を持って帰っていただきたい、楽しさを共用したい。それが雷門盆踊りと思っているのです。
「盆踊り」といえば先祖供養とは切っても切れない間柄。
9月にしたのも9月1日は「防災の日」です。
元をたどれば関東大震災の日です。
ご存知でしょうか。両国国技館近くに「東京慰霊堂」という慰霊の施設があることを。
引き取り手のないおおよそ3万8千柱の震災犠牲者が眠っています。(大戦殉難者は10万人くらい)
浅草ってそんな土地でもあります。
防災の日にかけて盆踊りをという声もそのような背景があります。
夢にも思わなかった北海道胆振東部地震。
哀悼の心を捧げたいと思います。
今なお瓦礫の中からの捜索活動は、自衛隊や消防や地元の方々によって続いています。
全員の救助がなされることを祈ってやみません。
7年前の東北大震災時に私たちは商店会として被災地支援と微力ながら石巻⇒大船渡へ行かせていただきました。
自然の猛威の前に先人がいかにご苦労されてきたか、そして乗り越えてこられたかを学びました。
そして人の「絆」という合言葉を深く学びました。
今こそ、心一つにして復興していくことを誓っていきたいと思わずにはいられません。
盆踊りの会場には他人同士の集まりです。
しかし「これが最後の曲です」とアナウンスし、祭りもおしまいとなった時に胸に去来する共有の連帯感、また来年もと思う期待、一抹の寂しさという思いは、もう他人の集まりではないのだなと正直思いました。
心一つにできる雷門盆踊りでありたいなと思います。